女はなぜ、パチンカスの道を選んだのか

うつ病です」

医者から告げられても、驚きはなかった。

ついでにADHDも発覚して「そりゃ社会でうまくやれないよな」と妙に納得した。

免罪符にするわけではないけど、常日頃マジョリティからズレた言動をしていたので浮くのも無理はない。

漠然と社会への恐怖が増幅していった。

“自分はどこへ行ってもダメなんだ”

そんな気持ちばかりに支配され、居場所探しにも疲れていた。

だいたい大人数が集うとトラブルが起こる。

何故だか相談係になって、巻き込まれるのがお決まりルーチンになっている。

仕事でもないのに何をそんなにグチグチ言う必要があるのだろうと思うけれども、苦悩はそれぞれだしと思って黙って聞いていると珈琲が冷めて不味くなる。

その間、絶え間なく続く噂話によって三割増で不味くなる珈琲。

もはやマスターへの冒涜である。

 

集団行動きらい

噂、ネチネチきらい

社会の暗黙のルールきらい

満員電車きらい

会議きらい

横文字使う文化きらい

定時に同じ場所へ行くのきらい

社員のこと「仲間」っていう組織きらい

無駄に意識高いベンチャー企業きらい

ビジネス啓発本を勧めてくる人きらい

 

沢山の「きらい」があって、これまではお賃金の為には我慢しなきゃいけないと思っていたけど、嫌いは嫌い。ストレスで顎関節症にもなる。そんなの人権ない!

開き直って全部避けてみようと思った。

その結果「パチンコで稼ぐ」にいきついた。

これまで長々と書いた全ての事象となんら関係性が見出せないパチンコである。

 

一つ

勤務時間自由。打ちたい時に打てば良い,

二つ

他人と関わらなくていい。己との戦い。

三つ

ギャンブルで生計を立てるって昭和のワルみたいでカッコいい。

 

以上がパチンコを選んだ理由だ。

初めて行ったパチンコ屋で大勝ちしたとか、そんなエピソードはない。(むしろ負けた)

 

三ヶ月と少し続けて気づいたことがある。

「パチンコは人生の縮図である」

例えば自分の調子が良い時は多少他人が横暴でも許せる。台をバンバンしてるご老人にも慈悲の心で無視。

それが負けが続くと当たっている人間全員が羨ましく思えて「なんで自分だけ…」という気持ちになる。その人はもしかしたら昨日20万円負けているかもしれないのに、目先の利益だけを羨ましがる。浅ましい心を知ることが出来る。

隣の芝生は青い。まさしくこのことだ。

他者を妬み、己を卑下してはいけない。

悟りを得るのである。

「今この不遇は一時のものであり、いづれ必ず好機が訪れる」

強いメンタルがないとギャンブル一本で食べていくことは相当に難しい。

巷には「必勝法」などを謳う連中もいるが、そんなものはない。ほんのばかり勝率を上げることは出来ても、最後は「根気」がものを言う。

ひたすらぶん回して当たるまでやる。なかなか気が狂っていて最高だ。

今、人生で最もメンタルが強い。

メンタルクリニックでカウンセリングや処方薬により整えていても一向に治らなかった弱々しいメンタルがパチンコによって鍛えられている。

 

そんなこんなでほぼ修行に近い毎日を送っている。

毎日通っていると顔見知りの同志も出来た。

友達が少ない人生で、気軽に話せる人は貴重だ。

少ない年金をパチンコにぶち込んでしまうおじいちゃんがいる。奥さんがお亡くなりになってから、暇で通うようになったらしい。

最近転んで左腕を骨折をしたと話していて、すごく心配だが姿を見ない。健康でいて欲しい。

こういった感情も普段なかなか感じられないので、新鮮だ。

 

社会に復帰できるまで、蔑まれようとも私はパチンカスでいるのだ。