今日もPOPに希死念慮♪を書いてみたよ⭐︎

「しにたい」

この感情は、例えるなら「家がお隣というだけで対して好きでもないけど、幼稚園からの腐れ縁のアイツ」くらい身近な存在。

そこにずっとあって、存在を疑ったこともないけど別にいなくてもいい。

この感情は「生きたい」と「死にたい」の二者択一の中で発生するものではない。

知ってる人は知ってる。いわば最終奥義的なもの。

ありとあらゆることを考えて、挑戦を続けた結果「生きるのがめんどくさいから死にたい」まで飛ぶ。

人類の皆々様が作り上げてくれた平和な世の中で、自ら死のうなんて大変おこがましく思いますんで、しゃーなし息をするんです。

それをなんだ。やれメンヘラだー、精神疾患だーって。うっせ!ほっとけ!

目の前にめっちゃ美味そうなラーメンあったら、普通の人間食うだろ。

それくらいの感覚でこの気持ちと向き合ってんだわ🖐️

私が初めて明確に「死にたい」と思ったのは、小学生の頃だったと思う。

両親の顔色を伺うのに疲れて、学校ではルールに縛られて、トモダチも居ない。

薬箱を漁って目についた薬(おそらく下剤)を一箱分、飲んでみたけど何事もなかった。

翌朝学校へ行く羽目になってガッカリした記憶がある。

この感情とは随分と長い付き合いになってしまった。

そんな時はこうやって文章を書くようにしてる。

馬鹿騒ぎしたり、お酒を飲んでも「なんだこの時間」って妙に冷静になってしまうタイプなので、これしか暇つぶしの道具がない。

書いてるうちに痛みがほんの少しだけ和らいでくれて、一呼吸おくと「うんうん、明日くらいは乗り切ってみてもいいんじゃなーい?」と思えたり、思えなかったり。

 

今は一時間先のことも分からないし、考えられないけども、いつか小さな事でもいいから目標とか見つけられたらなぁ。

頑張らなきゃ、じゃなくて

楽しいって思えることに出会えたら、それはすごく良い人生だよね。